朝日新聞にとりあげられました(朝日新聞 2006.5.14)

弁当で家庭の「格差」見える? 
   「中学校は給食に」反響 共感と反論広がる

 弁当箱に食パン1枚――。弁当で家庭の状況がみえてしまうので、中学校はみな「給食に変えるべきだ」という投書を載せた4月16日付の記事に、賛成、反対の立場から多くの意見が寄せられた。議会が「弁当の日」を作るよう決議し、論争になった町もある。弁当を作らないと愛情が足りないのか。子どもが「格差」を実感させられることを、どう考えるか。議論は広がる。(平山亜理)



 「違い知る好機」「比較で傷」

 東京都町田市の会社員大音美月さん(46)は、朝4時起きで、高1と中2の息子たち、夫婦計4人分の弁当を作る。
 「お母さん! 給食に逃げないで、心をこめてつくりましょう。時間と手間をかけてくれることに子どもは喜びを感じる」と言う。「家庭で収入に違いがあるのは、本当の姿。画一的な給食ではそれが見えない。弁当なら、世の中には色々な違いがあることを知るチャンスになる」
 甲府市のパート青山洋子さん(55)も2人の息子たちの弁当を作ってきた。「私は給食に反対。税金の無駄遣い。親が働いているからこそ弁当を作り、子どもと接点をつくるべきだ」。弁当から格差が見え、他の子の陰口を言う子がいるなら、逆に子どもの考えを聞く機会になるという。
 給食賛成の会社員の女性(39)は中学生の時、両親が共働きで、自分で詰めた毎日同じ中身の弁当を同級生にからかわれ、「母が侮辱を受けたようで、大きな傷になった」と言う。その後、父の会社が倒産して引っ越した先の中学校は給食で、「貧乏のどん底にいる私にとって、弁当を比べられることなく過ごせ、ほっとした。豊かな時代だからこそ、理解してもらえない貧しさに身を置く立場の子どもたちに給食は重要」と訴える。
 ある養護学校の教員(39)は、小1の娘と夫の3人家族で共働き。今でも家事のため朝5時に起床。今は給食があるが、中学校はない。娘が地元の中学生になると「どう弁当を作る時間をひねりだすか憂鬱(ゆううつ)。夜も帰宅とともに家事の連続。働く母親にちっとも優しくない」という。



 「弁当の日」の町でも賛否

 「戦後60年。豊かな時代を迎え、学校給食は使命を十分果たし終えた」
 昨年9月、小中学校に「弁当の日」を設ける決議案が、埼玉県鷲宮町議会で出された。親子間で殺傷事件が起きるのは親子の愛情不足が背景にあり、母親が弁当作りをすることで親子の愛情が生まれるという考えだ。
 提出した栗原昭文議員(74)は「昔は母親が朝4時に起き、かまどでご飯をたいた。給食がなければ母親も弁当を作らざるをえなくなり、子どもも親のありがたみが分かるようになる」と話す。
 これに反発した親たちが「鷲宮町の子育てを守る会」を結成、約7千人の反対署名を町議会と町教委に提出した。
 「右肩上がりの時代に子育てした人の言うこと。明日、夫がクビになるかもという不安の中で妻も働き、ぎりぎりの状態で時代が違う。母親を懲らしめるためという感じ」と、鷲宮町PTA連合会会長の大谷和子さん(39)は憤る。「守る会」は、母子家庭や共稼ぎなど様々な事情で弁当を作れない家庭もあり、子どもを傷つける、と主張する。
 これに対し栗原議員は、「違いを認識することも重要。持って来られない子がいたら、友達がおかずをあげたり、別の母親が作ったりするなど、相手を思いやる気持ちが出来る」と話す。
 結局、賛成10、反対8で決議され、町教委はこの4月から年3回、「弁当の日」を設けて弁当の持参を求めることになった。その代わり、給食の日数は減らさないという。3回の「弁当の日」の設定は学校に委ねることにし、具体的な事例も示した。
 たとえば、遠足などの行事には「行事弁当」、子どもが自分で握る「おにぎり弁当」、子ども自身が作る「自作弁当」という考え方だ。また、弁当に「がんばって」などの短冊を添えて親のメッセージを書いてもらうことも提案している。忘れた子がいた場合は、ほかの生徒に気づかれないよう教員がコンビニで買い、後で親に請求することにしているという。



 カフェテリアなども議論を
       汐見稔幸(としゆき)東京大学大学院教育学研究科教授(育児学)の話 

 学校給食を否定する人は、最近の若い母親は自己犠牲的に子どもにご飯を作っていない、という批判的な考え方がある。給食が広がると自分のように頑張っている母親が評価されなくなってしまう、という気持ちがある。
 夜間に商売をしていたり、体が悪かったり、様々な事情の家庭があるという想像力を働かすことはできないか。格差社会で子どもを育てるだけで大変という人もいる。母親が頑張って弁当を作れば、家族の絆(きずな)が深まるという単純なものではない。給食か弁当かという議論ではなく、たとえばカフェテリア方式など親のそれぞれの事情に応じた学校での食事のあり方をもっと議論すべきだ。