○渡辺佳嗣 議長
 ほかに。
  5番、磯前ひろ子 議員。


        [5番 磯前ひろ子 議員 登壇]
○5番 磯前ひろ子 議員
  5番、磯前です。再質疑をさせていただきます。
  いろんな問題点があるのは承知しているけれども、学校給食だけに負わせるものではないと。これは、欠食児童とかがいても、親の問題とかいろんな問題になるのだから、給食が負うものでもないということ、そういう見解なのだというふうなご答弁だったと思いますけれども、しかしながら子供たちは、これは書く家庭だけの人材ではないわけです。やっぱり教育基本法から始まって、子供たちは国の宝という位置づけで、次代を担う人間というか、人材を育てていくという観点から、まず最低限小学校、中学校は国の教育基本法やこういった学校給食法のもとで子供たちに、親がどんな経済状況やいろんな状態であろうとも、平等に亘平な教育や平等なものを受けられるようにしていくということのもとで、この学校給食は行われているわけです。そういった点で、いろんなさまざまな、それこそ親がいろんな無責任でやっているかどうかは別です。今いろんな社会状況の中で、現実に子供たちが欠食になったり、栄養が偏ったりすることは社会問題です。これはどこに問題があるか、親だけの責任ではないと思います。いろんな問題が含まれています。その中で、親の問題だからといって、子供たちが放置されるようでは困る。
 そういうことで、まず食のところでは学校の給食がきちんと子供たちを最低限、体の面でバックアップをし、そして大きくなったら自分できちんと栄養の面も考えられるような、選択できるような子供たちを育てるために食育がされているのだと思います。今の給食事業の中でも食の授業は、ただ単に配ぜんして、みんなで協力して食べるということと、それからあわせて自分たちが食べている食材の勉強や、それから体にとって栄養の重要な問題とか、例えばハンバーガーの危険性とか、糖分のとり過ぎだったらこうだよということ、いろんなさまざまな授業で、栄養士さんも含めて学校で食行くもされています。それは一番重要なところだと思うのです、給食の担っている。そういう点では、やはり親が子供を三度三度食べさせるという、その範囲での弁当とか給食を廃止するとかという問題にはならなくて、やはり国や自治体が子供たちをきちんとした人間に育て上げていくという責任のものとで行われるべきものだと思いますので、この給食については、やはりこうした唐突的、私たちからすれば唐突敵な決議、弁当の日を設け、さらに給食をなくしていく、それから給食センターを不要としていくというような、そういうことにつながっていくような決議を突然出されないで、例えば子供さんの声を聞きたいとおっしゃっていましたけれども、子供さんの声を聞き、ご自分のご家庭や、また近隣のお母さん方、お父さん方の声をよく効いて、そして自分の問題点をみんなに話しながら、議員としてみんなでやっぱり勉強すた上で出されていくべきものだと思いますので、その点でやはりもっと十分は、さまざまな形での議論も必要かと思いますが、その点についてもあわせてお伺いをします。
 以上です。


○渡辺佳嗣 議長
  栗原昭文議員、答弁願います。


        [16番 栗原昭文 議員 登壇]
○16番 栗原昭文 議員
  5番、磯前議員の再質疑にお答えをいたします。
  順序が逆になるかもしれませんけれども、唐突にこの弁当の日を設けることについての決議を出されたというふうにおっしゃいましたけれども、私は、平成9年、平成14年、それから今回と3度にわたってこの問題を取り上げて、かなり長い時間をとって一般質問をし、それから渡邉町長、野口助役時代、そのときにも教育長もいらっしゃいましたけれども、ご答弁をいただいています。したがって、唐突にこの問題を提起したのではございません。しかも、磯前議員のおっしゃるように、次代を担う子供たちの将来を考えればこそ、もうここまできて、こういう形で決議を出さなければならないというふうに自分は理解している。それはどういうことかといえば、何回も言っていますけれども、食育の重要性が、その結果として現代の子供たちの行動パターンがあるわけです。中学生が勉強しろと言われただけで親を刺すということはなぜ生まれたか。それは、親子の関係、親子の愛情がそこにないからですよ。なぜないかという問題は、動物が自分の身を省みず、自分より大きな敵と戦って、子供のために相手を倒して食べ物をとる。そういう行為、これが食育なのです。だから、それをやっぱりもう一度見直すためには、欠食児童のこともおっしゃっていますけれども、これは親の問題というふうにおっしゃいましたけれども、私は親の問題とは言っていないのです。子供の問題だといっているのです。親がどうだ、こうだではないのです。要するに給食を当てにしてしまうということが、親も子も皆社会も同じです。当てにしているのです、現実に。昼は給食を食べられるからという頭が自然にあるわけです。 以上です。