○渡辺佳嗣 議長
  栗原昭文 議員、答弁願います。


        [16番 栗原昭文 議員 登壇]
○16番 栗原昭文 議員
  6番、宮田議員のご質疑にお答えをいたします。
 宮田議員は弁当を毎日つくっていて、面堂くさく思ったことは一度もないということは、非常に幸せなことだろうと私は思っております。したがって、宮田議員のお子様は愛情不足なんていうことはないと私は思っています。
 それから、議員ご自身が給食のときに、では親の愛情を受けていなかったか。そんなことはなかったというふうにおっしゃっている。これも多分ほかの場面で十分な親の愛情を感じていたからこそ、そういうふうにおっしゃっている。これもこんな幸せなことはないというふうに思います。したがって、そのことについては何も問題にする必要はないと思います。
 ただ、先ほども何度も申し上げましたように、朝食を食べないで保育所や学校に行く子供が多いのです。これは、私の手元にも記録ありますけれども、全国的な記録でも、小学生、中学生、20%が食べないで行くということが出ているのです。そういうことが心の問題に影響をしているのです。その子供は一体それでは、給食の時間まで一体どういうふうな気持ちで過しているのかなと。おなかがすいて勉強どころではないと。保育所では泣きわめいている。そういう子供がいるということ。だから、愛情いっぱいで育っている方はそれで十分だと思いますけれども、いわゆる給食によって、給食を当てにすることによって親が弁当をつくらない人がいるのです。だから、その人たちがやっぱり問題なのです。私は、むしろそういうことを問題にして、今非常にごく一部の人ですけれども、親を刺すというのはやっぱりそういうところから出てきているのだろうというふうに思っております。
 それから、保護者の意見をまず聞いてやるべきだということですけれども、これは教育委員会の仕事です。私も、もしそういう場面で、例えばPTAで私に来て説明をしろと言われれば、いつでも出ていきますけれども、これは教育委員会の仕事だと思っています。
 それから、弁当を持っていくと、隣の子がおいしいと、こっちがまずそうだとかという差別が生まれるということですけれども、これを差別というふうにとらえると差別かもしれません。それから、不平等だというふうにとらえると不平等かもしれません。しかし、人間は個々人、完全な平等ではないのです、生まれたときから。すべてみんな不平等なのです。だからこそ、こうやって人間社会で競争しながら生きているわけです。これがみんな平等だったら、要するにけんかもしない、争いもしない、何もわからない。後から出てくる友達同士の友情云々もありましたけれども、そこには現在差別ではなくていじめがあるわけですよね、多分。私の想像ではいじめだと思います。昔は、そういうことに対して、やはり哀れみとか、助け合いとか、そういう心があったのです。今は、すぐそれがいじめにいってしまうのです。それは、相手がいかに困っているかということがわからないからそうなる。それがわかれば、いじめになんかならないのです。そこに今の教育の大きな問題点があると私は思っています。
 食中毒の問題は、先ほど答弁したとおりです。
 それから、保護者の声を聞いてくれというふうにおっしゃいましたけれども、私は保護者の声ではなくて、子供の声をまず聞きたい。それから、つけ加えれば、私立は全部弁当です。
 以上です。