○渡辺佳嗣 議長
 ほかに。
  6番、宮田千歳 議員。


      [6番 宮田千歳 議員 登壇]
○6番 宮田千歳 議員
  6番、宮田です。決議第2号 学校給食に弁当の日を設けることについて(案)について質疑をさせていただきます。
 まず、私は娘がいるのですが、2年半お弁当をつくっています。けさもお弁当をつくってきました。ですから、別にお弁当をつくrのが、その間、お弁当をつくるのが面堂くさいと思ったことも一度もありません。そういう保護者の立場から質疑をさせていただきます。
 まず、この案をみていく中で、親子の愛情とのがすごく多くでてきていて、また補足説明の中でも愛情のことについては多く触れられているのですが、これだけは知っていただきたいのは、お弁当をつくることだけが親子の愛情ではありません。私はお弁当をつくってきましたが、お弁当だけに愛情を感じてつくっていたことはありません。もっと大事なものもあります。また、私はずっと小学校、中学校と給食で生活してきました。その中で、給食を食べてきましたが、親の愛情がないということを一度も感じたことはありません。また、親がお弁当をつくるということ、親の背中を見て育つ、親が大変だから、そこから子供が親のことをてつだったりすることがあると言いましたけれども、私は給食で育ってきました。お弁当はつくってもらっていませんが、親が大変だと思って手伝いもしてきました。だから、それとこれとは全く別の話だと思います。愛情の問題とお弁当の問題は、全く別の話だと私は思います。
 まず、順序が逆だなと思います。これを出すに当たって、栗原議員さんがおっしゃるとおり、保護者、子供にこれから聞いていくということですが、まずこれを推進するのであれば、こういうことを出すのであれば、まずは保護者とか子供の意見を聞いてから出すべきだったのではないかと思います。そして、この内容なのですが、私が2年半お弁当をつくってきて、その中の実体験ですが、保育園の中には、父子家庭の方も、母子家庭の方もいらっしゃいました。また、親が急に病気になってお弁当をつくれないという子もいました。そういう中で、みんながお弁当を広げるときに、あの子のお弁当はおいしそうだ、この子のお弁当はおいしくないということでの、そういう差別もありました。学校のこういう教育というのは、効率の小学校、中学校の教育というのは、差別をつくらない、平等だということを、教育だけではなくて、勉強だけではなくて、平等だということを学ぶ場所でもあると思うのです。だから、この学校給食によってそういうことが、みんなで同じものを食べるということが、食育だけではなくて、そういう平等だという教育にもなっているのではないかと思うのですが、どう思われるか、お伺いいたします。
 あと、7番です。「お弁当は、個人さまざまであり、そこには、友達同士の会話、友情が生まれる」という、そこの7番の部分なのですが、これは余りにも現状を知らないのかなと思ってしまいます。これは逆です。全く逆です。お弁当によって、友情が生まれるどころか、あの子のお弁当はおいしそう、この子のお弁当はおいしくなさそうという差別が生まれます。それに相手を思いやり、助ける心が生まれる。それは栗原議員さんが幼い子供のころはそうだったかもしれませんが、今は違います。今はそういう気持ちはお弁当では生まれません。逆に学校の給食の配ぜんなんかを通して、そういうことが生まれます。だから、ちょっとここの部分、どういうあれを持って、栗原議員の考えはどういう考えを持ってこの7番を入れたのかということをまずお伺いします。
 あと、3番の学校給食による食中毒ということですが、幼稚園のお弁当でも本当にこの食中毒に関しては、特に近年のこの異常な夏の暑さによって、物すごく気を使っていても、どんなに頑張って親がやっても、中には腐っているものが入っているときがあるのです。これが親が何とかしてくれと言っても、それはムリなのです、親だけが何とかするのは。学校の責任にするのか、親の責任にするのか、子供の責任にするのか、こういうのは本当に重要な問題だと思います。また、学校給食だけなのです、温かいものが食べれるのは。お弁当というのは冷たいのです、どうやっても。温かい給食が食べれるということに、私の娘の通っている幼稚園は月に2回だけ給食があるのですが、その給食を娘は、温かいものが食べれるといって喜びます。また、みんなで同じものが食べれると喜ぶのです。小学校に入って給食になるよと言うと、給食楽しみだと言っているのですが、だから、もう一度ちゃんと子供とか保護者に聞いてから、こういうものを出していただきたと思いますが、そのお考えをお伺いします。
 以上です。